結婚願望があった「私の母」ですが、中々結婚できずに悩んでいた所、とある会社社長の紹介で「父」と知り合うことになります。
実はそのとある会社と言うのは、私の父が田舎にいたときに働いていた会社の社長で、父も結婚相手を探していたいい、「お互いあってみませんか?」という事になったのです。
モラハラ父の結婚前の印象は気を使ってくれる好青年
付き合った期間は半年と短かったですが、その間は父からモラハラやDVを受けることも無くすごしていたそうです。
夏の暑い日、父の家を訪れると「冷たく冷やしたコーラを出してくれたのが嬉しくて、今でもそれだけは覚えている」と母は教えてくれました。
この時得に何も無かった要因としては、一緒に住んでいなかったことが挙げられますが、それ以上に他人に対しては良い態度を取るというモラハラ性質が現れていたんですね。
正直者で素直な母は、父の本当の姿を感じ取ることができず、距離を縮めてしまい抜け出せなくなってしまったのです。
モラハラ・DV父について「結婚前は優しかった」という
「お母さんはどうしてあんなお父さんと結婚したの?」子供の時にこんな質問を母にしたことがあります。
「結婚する前はさ、お父さんもやさしかったんだよね。」と母は教えてくれました。
たったそれだけのことで、親父の性格の裏表を注意深く見ずに、人生を棒に振ってしまった母にも責任はありますが、今はすごく後悔していると言っていました。
私が生まれた頃から急に怒鳴るようになり、母にも冷たくなったそうです・・・。
また、「おじいちゃんとおばあちゃんからは、あんな金も土地も無いやつのところに嫁ぐんじゃない」と結婚自体を反対されていたそうですが、それも無視して結婚してしまった結果、母の運命は決まってしまったんです。
母方の祖父母は昔から苦労してきたせいか、貯蓄もせずに借家に住み続けている父やその家族を見て、大事な娘を嫁に行かせたくないし、行っても苦労するだけだと分かっていたのだと思います。
しかし、母は父の内面や本当の姿も知らず「優しい人」と勘違いして一緒になることを決意してしまい、未だに抜け出せないでいるのです。
おやつはパンの耳。そしてモラハラとDVを始める親父
結婚して一緒に住むようになると、私の親父であるモラハラ夫の本性が態度とともに少しずつ現れ始めます。
お金が無いので夕食のおかずもろくに変えないのは分かっているくせに、「お前は役立たずだ」と罵ったり、「こんなもの食えるか」と食卓に並ぶものにケチをつけては激昂し、テーブルをひっくり返してメチャクチャにしていたのです。
よく近所の人が、怒鳴られ暴力を振るわれる母を見て、泣き喚く私達子供の声を聞きつけ、「どうしたんですか?何かあったんですか?」と様子を見に来たこともありますが、母は乱れた髪を直しながら「何でもありません。大丈夫です」と必死でごまかそうとしていました。
当時はDVという言葉は無く、単なる夫婦喧嘩としか見てくれなかったのを子供ながらに覚えています。
また、日ごろから母を無視して「自分が偉いんだ。自分の命令には絶対に従え」と態度に出し、気に入らないことがあるとチっと舌打ちをして恐怖感を与え、癇に障ることをするとDVを繰り返し、加害者と被害者という方式が出来上がってしまったのです。
更に、そんな時は近所の飲み屋へと出て行き、金も無いのにツケで飲んでいたと聞きますが、かわいい一人息子である父の行いを祖母は見てみぬ振りで、父を叱らないのは勿論、母にあやまることはありませんでした。
ツケで飲んでくるということは、普通であれば貯蓄があると考えられますが、生活費のほとんどをパチンコにつぎ込んでいたため、とにかく貧乏でその日食べるものも困っていたと聞きます。
例えば、休日の午後に小腹が空くと近所の駄菓子屋さんからもらってきたパンの耳を揚げて砂糖をまぶして食べたと教えてくれました。
友達だったら教えてあげたのに
私達家族が住んでいた借家の後ろに住む近所さんは、母が結婚する前から父は気に入らないことがあると、
「怒鳴ったり、モノを投げたりする音が毎日のように聞こえてた」、「もし私があなた(私の母)と友達だったらどういう家庭か教えてあげたのに」と日ごろからの生活ぶりを見ていました。
このご近所さんは母がモラハラとDVを受けるたびに相談に乗ってくれたのですが、私達子供が幼いころに引っ越していってしまったため、現在はどこに住んでいるかも分かりません。
そのため、「今でも感謝しているし、あの時連絡先を聞いておけばよかったな~」と今でも母は言うことがあります。
後悔先に立たず。モラハラからは逃げられない
私達が子供だったころに、何度も逃げ出して両親に助けを求めましたが、実家には母の兄夫婦が同居していたため戻りたくても戻れなかったのです。
今は「自分が選んだ道だから」と諦めています・・・。
コメント