私が小学校5年生になった1990年の出来事。
甲状腺機能低下症、俗に言う橋本病にかかった母。
実は私が小学校3年生のころから、ずっと体調不良を訴えていたのですが、仕事が忙しかったため病院には行きませんでした。
そんなある日、食卓に並んだ夕食が気に入らないと暴れ出した親父がとんでもない暴言を母に浴びせたのです。
「甘ったれ病」とモラハラ発言で罵る親父に反撃
「お父さんのせいではお母さんは病気になったんだ!かわいそうだろ。いい加減やめろ。」
「お前、今日仕事して無いだろ。それなのにどうしてそんな偉そうなことがいえるんだ。」
これが親父と11年間一緒に生きてきた私が、始めて母を守るために言い返した言葉です。
それに対して「オレが悪いことを言ってるとでも言うのか?。子供のクセに偉そうな口を聞くな。(母を見て)お前は甘ったれ病だ!」
そう罵ったのですが、それ以上は何も言わず、更に不思議なことに無言でテレビを見始めたのです。
モラハラ父に言ってやった小学校5年生
ずっと恐い存在だった親父へのはじめての反撃行為。「余計なことを言うと殴られるんじゃないか」という弱気なことしか考えられず、暴力を振るわれる母を見て泣いているだけだった自分。
しかし、このまま黙っていてはダメだとずっと感じてきたことの一つを言葉にすることができ、「オレもお母さんを守れるんだ」という自信につながりました。
これをきっかけに家庭での親父の態度が徐々に変わっていきます・・・。
息子に反攻され行き場を失い始める親父
息子の私ではなくなぜか母を「甘ったれ病」といった親父。
あの時は「子供に反攻的な態度を取られた」ことにショックを受けていたように見えました。
それはそうですよね。家では誰も逆らうものはいないと今まで好き勝手やってきたのに、それを子供に指摘され言い返されたのですから、さぞかしショックだったことでしょう。
でもそんな親父に家族は同情などしません。何があっても絶対に。
続いては言い返す出来事が起きたきっかけについてです。
パチンコに負けた腹いせにおかずに文句を付けるモラハラ親父
あぐらをかいてビールを飲みながら「チっ」と舌打ちをする親父。
その瞬間、私達は静まり返りそっと顔を見ると、眉間にシワを寄せ母を睨み付けています。
「何か食うもんはねーのか!もっといいもの作れ!」
いきなり怒鳴ったので、みんな体をビクっとさせて驚くと同時に、いつもの胃が重くなる感覚が襲ってきます。
DVが恐くて夕食準備を最優先する母
17:30に仕事から帰宅して、一息つく暇もなく台所に立ち夕食の準備を始める母。
親父が帰ってくる前にテーブルにビールと夕食を並べておかないと、いつまで用意をしているんだと怒鳴られるからです。
当時はドラゴンボールの再放送を見ながら夕食が出来上がるのを待つのが日課で、いつも決まって再放送を見終わった18:00頃、テーブルに夕食が並びます。
毎週水曜日はドラゴンボールの再放送とZの本放送が見られるので楽しみだった。
この日の献立はご飯と味噌汁、そしておかずは焼き魚(アジのひらき)。
自営業のウチは売り上げはソコソコでしたが、その殆どを親父がパチンコや飲み代につぎ込んで、生活費にしてくれなかったので、いつもこんな感じの食事です。
※それでも月に3回は家族で外食していた。
兄妹仲良く夕食を食べていると、玄関ドアを開けガチャンと車のカギを下駄箱に放り投げ、ドンドンと大きな足音を立てて家に帰ってくる親父。
その足音は「オレが帰ってきたぞ」と無言で母や私達に圧力を与えるかのような大きな音。
「あー。帰ってきた。嫌だな~」なんて弟と話していると、おかずに文句を付け始めました。
その原因は「パチンコに負けたから」。
毎日仕事もせずに朝から晩までパチンコしているくせに、母が一生懸命作った食事に文句をいうクソ親父。
この日は儲からずに負けて帰ってきたのか特に機嫌が悪く、目の前に出されたおかずに言い掛かりを付けたくなったのでしょう。
ただ、それが仕事をせずに遊びほうけている人間が言えるセリフではない事くらい11歳の私でも分かっていたので反撃に出たのです。
以上、親父がおかずに文句をつけてから私が反撃するまでの出来事でした。
続いては橋本病と診断された母についてです。
病院で橋本病と診断された
病院での診断結果は橋本病(甲状腺機能低下症)。
橋本病は、甲状腺における自己免疫疾患の一種である。(ウィキペディアより)
医学的な事は分かりませんが、朝起きるのも家事や仕事をするのも、「体がだるくて動けない」と毎日言っていたため、お母さんはどこか悪いんだというのは小学生ながらに感じていました。
お盆やお正月に春日部の実家に帰省したとき、兄弟や親戚は母の顔がむくんでいる事に気付き、病院に入れることも検討したとか。
橋本病で8つの症状を訴える母
橋本病を患う母が訴えた症状は以下の8つ。
- 体がだるい(倦怠感)
- 顔がむくむ
- 物事を覚えられない(記憶できない)
- 体温が35度前後になる
- 肌がカサカサになる
- 脈が遅くなる
- 激しい運動しても汗をかかない
- 目を閉じると視界がグルグル回る
毎日仕事から帰ると「かったるい。かったるい。」と口癖のように私に言ってきました。
薬局で薬剤師さんに勧められた薬用養命酒を買って飲んでいましたが、一向に改善されず悪くなる一方で外出することもままならないほどまで症状は悪化。
このままではまずいと姉に体調不良のことを相談した結果・・・。
姉に春日部嬉泉病院を紹介される
症状を話すと運がいいことに、母の姉の旦那さんが人工透析のために通院している病院を紹介してもらえたのです。
この病院は人工透析をメインとした病院ですが、甲状腺機能低下症も見てくれる病院で、ずっとお世話になっている母。
担当医師はとても親切な先生で、「僕がが治してあげますから安心してください」と言われてとても楽な気持ちになったと言っていました。
モラハラやDVを先生に打ち明ける
担当の先生は埼玉県川口市から電車通勤をしていることや、マンションに住んでいること、既婚だが高齢の母親の面倒を見ているなど、プライベートのことまで話をしてくれたそうです。
そこで、私の母も結婚してから親父に受けたDVやモラハラ発言、どんな環境で生活してきたかなどのすべてを話したのです。
先生は橋本病になった原因の一つとして「ストレス」が関係していると教えてくれたそうですが、本当の理由は現在の医学でも分からないことが多いとも話してくれたと母は言っていました。
一生治らない病気と付き合うことになってしまいましたが、薬のおかげで今は元気を取り戻しています。
続いては、大渕愛子さんも疑われた甲状腺機能低下症を患った母の詳細です。

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