苦しむ母を見るたびに痛んだ心

あれ以来「行きはよいよい帰りは恐い」が口癖に

これは私が保育園年少(5歳)の時の体験談です。

 
 

実家から帰ってきたら母がDVを受けた時の話をします。

 
 

その日は毎年3月に行われる初午(はつうま)祭りを見に、私達兄弟は母と一緒に埼玉県春日部市の実家に帰省していました。

 
 

帰省といっても車で10分。自転車で20分のところなのですぐに帰ってこれる場所なので、いつでも帰れるのですが、

 
 

親父に断りもなく実家に行くと、「お前どこほっつき歩いてたんだ!」とキレるので、母は「実家に行ってくる」と断りを入れてから帰省します。

 
 

当然、親父はお得意の無視をかましますが、それでも恐い親父のもとに子供を置いておくより、

 
 

お祭りに連れてって気分転換させてあげようという母の優しい心遣いから、帰省したのですが帰ってきた私達を待っていたのは・・・。

実家から帰ると怒鳴られた母

帰宅後DVをされた母

夜の7:30頃に家に到着した私達。

 
 

「遅くなったけど、おじいちゃん家に行って来るってちゃんとお父さんに伝えたから、怒ってないよね。」と兄弟で話をしながら、木枠で出来た擦りガラスの玄関ドアを開けました。

 
 

この言葉には、お父さん怒らないでという子供ながらの願いがこめられています。

 
 

しかし、その願いはかないませんでした。

 
 

玄関を開けると「てめー。飯も作るらねーでこんな時間まで遊んできやがって。今何時だと思ってるんだ」と母に向かって大声で怒鳴り喚く親父。

 
 

母を痛い目に合わせるのを待っていたかのような、完全に怒り狂ったその表情は私達子供の手に負える怒りではないというのを表していました。

 
 

「実家に帰るっていったよ」と恐怖のあまり声も出せない母親の言葉など聞きもせず、「いいから早く飯を作れ。バカ野郎」と更に怒りをあらわにします。

 
 

しかし、既に祖母が作った夕食を食べているため、お腹はいっぱいなのです。

こんな悪態をつく親父を祖母は怒るどころか、母がDVをされても見ないフリをします。

 
 

ですが、もともと母の実家で評判が悪い親父は、「嫁が実家に帰省してオレの悪口を言いふらしている。あいつの実家の人間はオレの敵。気に入らねー。ふざけんな」と考えています。

 
 

仕事もせず毎日パチンコ三昧、そして気に入らないことがあると母に暴力を振るう親父を、好ましく思う人間など誰一人としていないのに、

 
 

「オレは間違っていない。あいつらがおかしいんだ」という考えの人間ですが、それを親戚に言うことができない弱い人間なので、母の帰省を快く思っていないのです。

テーブルを投げつけ母を殴る親父

無理やり食事を作らされる母

テーブルには飲み終わったビール瓶とコップ、そして食べ散らかした夕食が並んでいました。

 
 

「もうお義母さんが作ってくれたのにまだ食べるの?」と聞き返す私の母。

 
 

すると、「まだ殆ど食ってねーんだよ。つべこべ言わずさっさと飯の用意をしろ!」と食べもしない食事を作れと要求。

 
 

それを見て祖母は「もうあんた達が出かけている間、私が作ったから作らなくていいのに。そんな無駄なことする必要ない。」と母をいびります。

 
 
用意が遅いと舌打ちされる母

それでも作らないわけにはいかず用意を始めのですが、その最中に何度も舌打ちされ急かされるのでパニックを起こしながらも、必死で晩御飯を作り終えた母。

 
 

急いでお盆にお皿を乗せてテーブルに持っていった途端、「こんなもんが食えるか!」と皿を投げつけテーブルを引っ繰り返す親父。

 
 

母が呆然と立ち尽くしていると、左手で襟元をつかみ右手で力いっぱい頬をビンタしたのです。

 
 

「痛い。やめて」とあまりの恐ろしさに力ない声で訴えますが、その声は届かず5発も殴られた顔はアザだらけに。

 
 

そのまま床に崩れ落ちる母を今度は無理やり起こし、台所まで引きずって行き馬乗りになって、何度も顔を殴り続けました。

 
 

パチン、パチンとビンタをする音と、親父の怒鳴り声を少しでも聞こえないようにと、私はいつものように両手で力いっぱい耳を塞いだまま泣くしかなかったです。

 
 

そして、ある人に助けを求めました。それは・・・

玄関から「おばあちゃんー!助けて」と叫んだが声は届かず

玄関からおばあちゃんに助けを求める

実は、「遅く帰ったらお父さんがお前たちに何かするといけない」と母方の祖母が私達と一緒に自転車で家の近くまで送ってくれていたのです。

 
 

もしおばあちゃんと一緒に帰ってきたのが親父にバレたら、私や母が何をされるか分からないというのをおばあちゃんも知っているので、

 
 

「家までついていくと、お父さんが怒るだろうからばあちゃんはもう帰るよ」と自宅から50mほど手前でお別れしました。

 
 

ですが、どちらにしてもDVを受ける結果になってしまったのです。

 
 

親父の怒鳴り声を聞きたくないので耳を塞ぐ

DVされる母を見た私は「そうだ。おばあちゃんに頼めば助けてくれる。すぐに呼びに行こう」と玄関を開け、

 
 

大声で、「おばあちゃーーん。助けてー。助けてー」と何度も叫びましたが、既に遠くまで行ってしまったため私の声は届きません。

 
 
自販機と街灯に照らされた夜道

あの時、玄関を開けて見えた光景・・・。自動販売機と街灯に照らされただけの薄暗い一本道の光景は今でも覚えています。

 
 

「もしあの時、おばあちゃんが戻ってきてくれたら、お母さんは暴力を振るわれずに済んだかもしれない」

 
 

そんなことをあの時は考えていましたが、今は逆効果だと思うようになりました。

 
 

その理由は「実家に帰った挙句、オレの敵を連れてくるなんてバカにしているのか?」とより怒りをかうだけだからです。

DVでできた顔アザと割れた食器を片付ける私

割れた食器や床の皿を片付ける

親父の怒りが収まったら残っているのは床に散らばった食べ物の片付け。

 
 

その日も何も言わず、ただただ無言でゴミとなった食べ物を片付ける母。顔はDVのせいでアザだらけです。

 
 

その姿を見ても親父は当然、祖母も片づけを手伝わないので子供の私は、「お母さんを助けなければいけない」という思いで一緒に汚れた床を拭きましたが、割れた食器を手に持とうとしたとき、

 
 

「ありがとうね。でも割れたお皿や食器は危ないから。お母さんが片付けるよ。ありがとうね。」

 
 

と、涙を流しながら鼻をすすって私に感謝してくれました。

 
 

出かけるときはウキウキ気分で家を出たのに、帰ってきたら恐ろしい目にあう。

 
 

この出来事以来、母は実家に出かけるとき「行きはよいよい帰りは恐い」と歌うようになったのです。

mamoritai

【私について】
私はしっかり者の妻と9歳と7歳の男の子を持つ39歳の父親で、
今は家族に恵まれ幸せな毎日を送っています。

しかし、そんな私は幼いころから父親が母親にDVをする姿を見て
毎日怯えて泣きながら育ちました。

また、父はモラハラ体質で、
現在も母に心無い言葉や罵声を浴びせ続けています。

そんな家庭環境で育ったせいか、
自分に自信が無く、常に周りからどう思われているか?
などを気にする性格になってしまいました。

また、自分もモラルハラスメントをしているという自覚もあります。

これはそんな私が幼いころから見てきた
DVやモラハラの話を書いたブログです。

生年月日  1979年9月
出身地   埼玉県
性格    マイナス思考
趣味    ドライブ
得意なこと ものまね
学歴    高卒
仕事    会社員

【家族構成】
兄弟   弟と妹の3人兄弟
父親   モラハラとDVをするクズ
母親   被害者

よろしくお願いします。

mamoritaiをフォローする
幼少時
mamoritaiをフォローする
モラハラ・DV親父を持つネガティブ息子(39歳)

コメント