家庭環境のせいか、いつの間にかマイナス思考になっていった長男の私。
常にネガティブな行動や発言をする訳ではないですが、重要な決断をしなければならないところで、「出来ない」など悪い方向にしか意識が向きません。
出来ると信じて一歩踏み出せばいいのですが、自己防衛本能なのかそれがとても難しいです。
このページではどんなところで私のマイナス思考が出てしまうか書きます。
最初に紹介するのは運転免許取得についてです。私は車が好きで18歳になったら教習所に通って免許を取得する決めていたものの、そこでマイナス思考が・・・。
自動車の運転免許なんて取れない
結論から言うと自動車免許は取れましたが、教習所に通う前も通っているときも、「自分には自動車の運転なんてできっこない」
と勝手に決め付けていました。
勿論、通うたびに上達はしていったのですが、教官に怒られたり脱輪するたびに、「次はがんばって成功するぞ」という気持ちは無く、
「これじゃ絶対に受かりっこない」と自分はダメな人間だから絶対に無理だ・・・。と考えることしかできませんでした。
自分に自信が無いから助言を求めた
当時、私は高校が終わったらアルバイトをしていました。
バイト先では20歳の男性社員が多く働いていたので、自然と「○○クン教習所はどこまで進んだ?」など、自然と免許の話になるんですよね。
私は、免許の話をされる度に「坂道発進まで進んだんですけど、上手くいかなくて・・・このまま免許が取れないんじゃないかとすごく心配なんです。」と先輩に話すたびに、
「なんだ。そんなこと心配しているのか。全然大丈夫だよ。免許なんて誰でも取れるんだから」といってくれるのですが、言ってもらわないと「自分でも免許は取れる」とは思えないのです。
その理由は、「自分自身に自信が無いから」に他なりません。
どんなときも、自分のやっていることは本当に正しいのか?上手くいかないんじゃないか。
上手くいと考えて頑張ったとしても、失敗したとき後悔するに決まっている。だったらネガティブ思考の方が楽だ。
と脳が反応してしまうのです・・・。それ故に自信が無い。
更に自分で決める勇気も決断力も無い。つまり、誰かに出来ると言ってもらわないと、出来るとは思えないのです。
この考えは困難な事になればなるほど大きくなっていくため、今後色々な場面で自分が苦しむことになるのでした・・・。
続いては就職活動に関する話です。
初の就職先は5日で退職
1998年4月に高校を卒業して就職をした私。
初めての就職先は私が小さい頃に両親が営んでいた職種と同じプラスチック成型業。
幼いころからプラスチックの仕事は見ていましたが、技術的なことは何も知らないのでまったくの素人としてスタートしたのです。
地元の会社で自宅からも近く、社員もいい人ばかりでしたが、仕事がきつくたった5日で退職してしまいました。
仕事をやめる場合は最低でも2週間前にその旨を伝えなければいけないのですが、私は「今日辞めさせてください」と言い残し、その日の内に荷物をまとめて辞めました。
思ってたのと違う。これが退職理由
私は完全に仕事を舐めていました。お金を稼ぐのがこんなに辛くて大変なものだとは思っていなかったのです。
もちろん、完全な甘えだということは分かっています。普段は憎んでいる親父にも「たった5日で辞めるなんて何を考えているんだ!そんな考えでこの先どうするんだ?」と怒られ何も言い返せませんでした。
自分に就職なんてできないという考えが芽生える
毎日家に居る私を見るたびに、「両親は毎日早く仕事を見つけろ」と言われ、更に兄弟からも「仕事見つかりそう?」と心配され安易な気持ちで就職した挙句、勝手に仕事を辞めた自分。
本当に情けないという気持ちが強くなり、求人広告に目を通しても「この不景気に就職なんてできない。あー小学生に戻って人生をやり直したい」と勝手に考えるようになっていきました。
日曜の新聞に折り込まれる求人に目を通しても、「仕事をしないといけないのは分かっているけど、オレみたいにすぐに仕事を辞める人間を雇ってくれる会社なんて無いんだ。」
「もうオレは仕事に就けずに親に迷惑をかけ続ける人生を送るに違いない。なんて親不孝な息子なんだ・・・」
そんなことばかり一人で考えることしかできなかったです。
しかし、母親だけには苦労させてはいけないと自分を奮い立たせて何とか再就職することに成功。
この記事は2018年5月に書きましたが、今考えると高卒の18歳、19歳の若者だったら履歴書を出せばすぐに雇ってもらえるはずなのに、当時の私は本当に世間のことを何も知らずにただ一人で悪いことだけ考えていました。
続いては再就職してからの話です。
無職を経て就職した製袋会社は変わり者ばかり
無職になってから半年が過ぎた1998年の10月。
私は地元の求人氏で見つけた千葉県の製袋工場(せいたい工場と読みます)に就職することができました。
製袋と言うのは紙袋を作る工場で、給料は手取り12万円と安かったもののボーナスもあり、尚且つ全国に工場を持つ大きな会社。
傍から見たらとても安定した職種に見えますが、地元の人間ばかりが集まった古い考えを持つ会社で、新人の私は邪魔者扱いをされました。
そのため、私はいつまで経っても会社に馴染めなかったです。
会社から自宅までは10分と近いのが魅力でしたが、みんな喋らないため、お昼休みに食堂でお弁当を食べるのも躊躇してしまうくらい雰囲気が悪く、45分しかない昼休みに原付バイクで自宅まで帰って、ご飯を急いで食べて午後の仕事をするという毎日を過ごしました。
土日は嬉しさのあまり早起きすることが多かったですが、平日は朝から憂鬱で会社に行きたくない気持ちでいっぱいになり、朝食も喉を通りませんでした。
仕事を教えてくれない先輩
私は要領が悪く、いっぺんにたくさんのことを覚えたりこなすことができません。
また当時は気が小さく強く言われると言い返せませんでした。
製袋機は大小さまざまな袋を作るため「型換え」をするのですが、私に指導してくれるはずの先輩は意地悪で、まったく仕事を教えてくなかったです。
そればかりか、機械の調子が悪くなると物に八つ当たりをし、更に私にまで怒りをぶつけてくる始末。
一緒に仕事をしていたパートのおばさんたちも恐がって誰も寄り付かなくなりましたが、私は仕事を教えてもらわないと一人前になれないので、
「この故障はどうやって直せばいいですか?」と聞いても、「あ?そんなの見て覚えろ!」と相手にすらしてもらえません。
すると、私は胃が痛みを覚えると同時に心臓の鼓動が激しくなり、「聞かなければ良かった・・・。」
そう後悔することを何度も繰り返しました。
これを読んで他の人は教えてくれないのかって?思った方へ。
私が担当した機械は、先輩と私しか操作することしかできない特殊な機械なので、上司にすら相談できません。
何度か上司に教えてくださいとお願いしましたが、「オレは分からない」と相手にされませんでした。
他人に厳しく自分に甘い先輩と社員
勤めている会社の社員は、仕事でミスをしても気にしません。ですが、私のような下っ端がミスをすると、「こんなこともできねーのか!何やってやがる!」ととんでもない剣幕で怒ります。
例えば先輩自信が機械の部品を固定するボルトを折っても「あっ。折れちゃったよ」と言うだけですが、
私が同じ過ちを犯すと「何やってるんだよ。もっと弱く締めろよ。まったく使えねーなー!」
と自分のミスは棚に上げ、私がミスをすると言いたい放題。
自分は何をやっても許されるのに、部下の失敗はボロクソ言う・・・。こんな社員だらけの会社って・・・。
あなたが部下の教育をする上司だとしましょう。
もし部下の前で上司であるあなたがミスを犯した場合、素直に謝りますか?謝りませんか?
謝らないという方は、素直になりましょう。そうすれば、部下はあなたを慕ってくれます。
素直に謝るというあなたはきっと良い上司であり、良い部下を持っているんでしょうね。
私も最初からそんないい上司にめぐり合えて居ればこの会社を辞めなかったかも知れません。
失敗を想像してばかり。恐くて機械を触れない
パートさんにこんなことを言われたのです。
「実はさ~、○○クンの先輩も誰にも機械の操作を教えてもらえなかったんだ。だから、○○クンにも同じ事をやってるのかもね。」
28歳の先輩が19歳の私に子供の対応をすることが信じられないと同時に、こんな社員を残す会社に苛立ちを覚えました。
更にパートのおばさんはこうも言いました。
「先輩は教えてもらえないから、自分で機械を弄り回して、怒られながら技術者になっていったの。だからアナタも自分で機械を触って技術を習得するのがいいんじゃないかしらね。」
それは十分分かっています。しかし私には、自分で自由に機械を触ることができないのです。
その理由は、間違ったことをして調子が悪くなるのが恐怖だから。
使用していた製袋機はドイツ製のとても古い機械で、重なり合うギアのタイミングを合わせるのが難しく、ある程度の経験と勘が必要です。
ボタンを押してハイ終了と言うものではありません。
パートのおばさんは、自分で弄って悩むのが上達の近道だと教えてくれたということは十分理解できますが、
先輩がいない時に機械を弄繰り回したら、「触るなっていったじゃねーか!何やってるんだ!」と怒鳴られて以来、恐くて何も出来なくなってしまいました。
それに、「失敗したらダメだ。直せなかったらどうしよう」というネガティブな考えばかりが浮かんで、手を動かすことが出来ません。
あの時は恥をかいてバカにされるのも、失敗するのもイヤ。毎日機械に触れるのが本当に恐くて仕方ありませんでした。
仕事ができない焦りからの怪我
嫌な先輩の仕事を必死で覚えながら少しずつ形になってきたある日のこと。
急に客から大きな注文が入り、急遽「機械の型換えをしろ」と言われましたが、「まだ入社して半年でしかも殆ど操作方法を教えてもらっていないのに出来るわけない。どうしろっていうんだ。」と頭が真っ白になってしまった私。
「絶対上手く出来ない。誰も教えてくれないし・・・。このまま残業になって、今日は徹夜で絶対に家に帰れない。どうしよう・・・どうしよう・・・。何でオレだけこんな目にあわなきゃいけないんだ・・・。」
と吐き気を抑えてパニックになっていると、
「何やってるんだ。まだこんなことも出来ないのか?とにかく急いで生産しないと間に合わないぞ!」と営業や上司から凄まじいプレッシャーを与えられ、震える手を押さえながら機械の調整のためネジを締めました。
「友達はみんな楽しく仕事してるっていうのに、自分はこんなところで働いて・・・。はぁ~~本当に運が無い。辞めたいな~。もう一度高校生に戻って別の会社に就職したい・・・」と深いため息をついて機械を動かすためスイッチを入れ、徐々にスピードを上げると機械にゴミが挟まっていることに気付きました。
本当はこの時機械を止めてゴミを取り除けばよかったのですが、上司に「早く生産しろ」と言われパニックになっていた私は、
「機械を止めたら納期が遅れる。動かしたままゴミを取ろう」と「停止スイッチを押さず動いている機械に手を入れました・・・。
その結果、右手の人差し指を6針縫う怪我を負ったのです。
先輩や上司からは「何やってるんだ!何故機械を止めなかったんだ!」と怒られましたが、「アンタがちゃんと教えてくれないのがいけないんだろ!」と言いたかった。
ですが、気が小さい私は「早くしろと言われて焦ってしまった」としか言えませんでした・・・。
病院へ向かう車の中で、「オレは本当にバカだ。なんでこんなこともできないんだ。このまま機械操作を覚えられずに、辞めさせられるに違いない。もう会社の人に合わせる顔が無い・・・」と一人で落ち込んでため息を付いていると、
「誰だってミスはあるんだから、そんなに落ち込むなよ。」と事務員の男性が励ましてくれましたが、
「自分は何も出来ない。誰がなんと言おうと無理だ・・・」とうつむいたまま顔も上げられませんでした。
信頼できる上司に出会った
あれは2000年の10月。私が20歳の時の出来事。
私の会社で人事異動があり、東京都足立区の工場から係長が異動してきました。
この係長はいつもニコニコしていて、勤務先の上司や先輩には無い話しやすさを持ってる上司だったのです。
しかも赴任数日しか経っていないにも関わらず朝礼で
「この工場に異動してきて数日。クレームの多さもそうですが、それ以上に団結力と協力心が無い皆さんに疑問を感じています。これからは私がこの町工場を正しい方向に導いていきますので、そのつもりでいてください。」
と、これまで誰も言わなかった社内の雰囲気の悪さと、自分勝手な社員たちの考えを指摘してくれたのです。
「この人こそ本当の上司だ。自分が今まで受けてきたことをこの人に相談しよう。そうすればきっと今の状況から抜け出せるに違いない」
誰もいなくなるまで一人で残業をしていたある日の夜。誰もいないのを確認して係長が事務所から出てくるのを待っていた私。
勇気を振り絞って「係長。お疲れ様です。」と帰宅しようとしていた係長に声をかけました。
「○○クン。お疲れ様。こんな遅くまで残業してくれてありがとう。」と声をかけた私に笑顔で返事をしてくれたので、
「係長。実は仕事の件で相談があります。先輩がボクに仕事を教えてくれません。どうしたらいいでしょうか・・・」と今までのことをすべて打ち明けたのです。
すると、「○○クンが先輩から仕事を教えてもらえないという話は知っているよ。私もずっと気になっていたんだ。どうやら先輩の○○も誰からも指導されず、その結果キミに仕事を教えないという考えのようだ。」
「だけど私はそんな人間は会社に必要ないと思っている。今後も先輩の○○がキミに仕事を教えない状況が続くのであれば辞めてもらおうと考えている。だから心配しないで大丈夫だよ。」
そう言ってくれたのです。その時は本当に嬉しかった。今まで上司に相談しても何も解決してもらえず、雰囲気の悪い会社で仕事をするのが嫌で嫌でしかたなかったけど、これで気持ちよく仕事が出来る。
そう思った私は「ありがとうございました!お疲れ様でした」と深く頭を下げ帰宅しました。
「これからは仕事も教えてもらえるし、早く技術を習得して一人前になるぞ!」と気合が入りましたが、先輩は何を言われても聞く耳を持たない人だったので、その後も態度が変わることは無かったです。
もうずっとこのまま嫌な仕事を続けるのはゴメンだ。いっそ辞めてやろうかと退職も考えましたが、また転機が訪れます。
係長と私の異動
2001年の夏に私が信頼していた係長が再び東京工場へと異動することになりました。
状況は変わりませんでしたが、いつも親身に相談に乗ってくれる係長がいなくなるのは、本当に辛く悲しいもので仕事にも身が入らなくなりました。
しかしある時、「○○クン。東京工場が人手不足で忙しいから、明日から2週間だけ応援に行ってくれないか?」と言われました。
「でも東京工場の事はまったく分からないボクで大丈夫ですか?」と確認すると「大丈夫。異動した係長がちゃんと面倒を見てくれると約束してくれたから。」と言われすぐに返事をして翌日から東京工場で勤務することに。
これまで仕事運がまるで無かった自分にも、幸運が舞い込んできたと嬉しくなり、毎日1時間30分の電車通勤も苦ではありませんでした。
東京工場は私がこれまで勤めていた千葉工場とは違い、上司や先輩もみんな良い方で仕事も辛くはなかったです。
得に嬉しかったのは、仕事で成功するときちんと褒めてもらえる。以前は何をやっても怒られてばかりだったので、マイナス思考が負のスパイラルに陥り、怪我をしたこともありました。
ですが、今度の会社は仕事が上手くいけば、よく出来たと褒めてもらえたので、やる気も出て次の仕事も成功につながる。というプラスの連鎖が生まれます。これは本当に嬉しかったです。
その結果、私のマイナス思考は少しずつ顔を出さなくなりました。
定時で帰宅できるときには、駅前の飲み屋に連れて行ってもらいご馳走になることもあったりと、今まで勤務していた工場の人間と全く違う感覚を持った従業員のみんなを前に、「これが本当の会社なんだ。この人たちにずっと付いていきたい」そう思うようになりました。
本当は2週間の約束で応援に行きましたが、東京工場が思いのほか忙しく気がつけば3ヶ月もお世話になっていたので、気分はすっかり東京工場の従業員でした。
しかし、ある暑い夏の金曜日の午後に係長から「○○クン。悪いんだけどまた千葉工場に戻ってくれないか」と言われ、楽しかった東京工場での勤務は終わりを告げることに・・・。
翌週の月曜日から再び千葉工場への勤務が始まったのです。
配置転換がきっかけで退職することに
2001年の10月、3ヵ月の応援期間が終わり千葉工場に戻ってまず上司から告げられたのは配置転換。
新しく与えられた機械は、千葉工場の中でもっとも稼働時間が長く残業も多い機械でしたが、みんな交代で残業をしていたため、誰でも扱える機械だと認識していました。
ですが実際は扱える人が一人しか居ないにも関わらず、勤務態度が悪いという理由でそのたった一人だったオペレーターを辞めさせた挙句、自分では機械を扱えないので、私を後釜にするために呼び戻したのです。
私はそれを聞いて心底がっかりしました。
一緒に機械の操作をすることになった上司は気分屋で口が悪く、普段は色々喋りかけてくれますが、
少しでもミスをすると、「まったくこんなものも直せないのか。お前は要領が悪くて不器用で本当にダメだな!東京工場を何を学んできたんだ!」と罵られるので、いつも私はこの上司の顔色を伺ってミスをしないように仕事をする毎日を送ることに・・・。
いつも怒鳴られてばかりでしたが、それでも何とか頑張りました。
ですが、当然のことながらマイナス思考に逆戻りしていますので、機械の傍から離れることが出来ず「機械が故障したらどうしよう。失敗してまた怒られる。」と悪いことばかり考えながら仕事する羽目に・・・。
仮に故障しても時間をかけて直せばいいのですが、当時の私はイレギュラーが起きるとパニックを起こして正常な考えができない状態でした。
また、それ以上に「故障を直せなかったら上司に怒られる。オレは何をやってもダメな人間だ」と、以前より増して自分を責めるようになり、「このままここで仕事を続けるのは辛すぎる」と言う考えに至り、退職を決意したのです。
なぜ退職を相談しなかったんだと係長に怒られた
辞表の提出も済み、有給消化に入ろうとしていたある日のこと。私はお世話になった東京工場の係長と社員の皆さんに挨拶へ行きました。
夜の国道4号バイパスを都内に向けて車を走らせ、区役所の手前を左折すると東京工場があります。
ちょうど係長と工場長が事務所でお酒を飲んでいるときに顔を出したのですが、
私は「○○クン。どうして辞める前に一言相談してくれなかったんだ?相談してくれたら、キミを東京工場に異動させる事だってできたのに何故なんだ!」とやさしいけれどもとても厳しい口調で怒られてしまいました。
辞めるときは千葉工場での嫌なことしか頭にありませんでしたが、東京工場の係長はこんなにも自分の事を考えていてくれたんだ。それなのに、何も相談しなかったオレは本当にバカだ・・・。
そう考えると後悔の念に苛まれ何も言い出せませんでした。
「お世話になったのに本当にすみませんでした」と深く頭を下げ会社を去りました。
マイナス思考の人は一人で考えちゃダメ
以上は1998年4月から2002年1月まで約4年間続いた私の社会人生活前編です。
自分がマイナス思考であるが故に一人で考え行動してしまう私。
壁にぶち当たる → ネガティブに考える → 壁が大きくなる → ネガティブ → 負のスパイラル
これを繰り返し頭の中でグルグルと悪い考えをめぐらせてしまう結果に・・・。
つまりネガティブな考えしか思いつかない自分には、何を考えても大した結論など出せる訳がないのです。
ですが、「誰かに相談しても無駄だ。自分で考えたことが正しい。それに人を頼るのは良くないことだ」という変なプライドがあり、それが原因で取り返しの付かない事をしてしまいます。
今回はいい上司が存在したにもかかわらず、相談もせず勝手に退職してしまったというのがその具体例。
もし、私と同様マイナス思考で周りに誰も頼る人がいないから悩みを抱えてしまうという人や、自分の考えでしか行動できない、したことが無いという方は、冷静になって頼れる存在を見つけてください。
頼れる存在が無いと考えてはダメです。それでは私と変わらないので、絶対に後悔することになります。
両親でも友人でも恋人でも誰でもいいです。アナタの相談に乗ってくれる人は必ずいるので、一人で悩まずに誰かに打ち明けてください。
そうすればマイナス思考と負のスパイラルから絶対に抜け出せます。
最後はずいぶんと偉そうなことを書きましたが、まだまだマイナス思考から抜け出すことはできていない私。
今度の更新では後半を書きたいと思います。
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