私が小学校6年生になったばかりの1991年の5月に、目の前で起きたモラハラとドメスティックバイオレンス体験談です。
学校の授業が午前中で終わった土曜日。
「子供たちも早く帰ってくることだし仕事場でお昼ご飯を食べよう」と自宅でてんぷらを作って工場に持っていった母。
お昼の12時になり弟と妹と私、そして母の3人でで食べていると、後から来た父がものすごい剣幕で・・・、
「オレにてんぷらを食わせる気か!こんな不味いもの出すな」
と昼食に文句を付けたのです。
てんぷらを食わせるなと食事に文句を付け母に対してDVをした原因
理由は一つ。
それは母が良かれと思って作った食事(てんぷら)を食べるという行為自体、父のプライドが許さない。
「仕事が忙しいにも関わらず、わざわざてんぷらを作ってくれてありがとう」と思えるのがまともな人間です。
しかし、モラハラ父にそのような感情はありません。
父は母を完全な下僕だと考えています。
その母が嬉しそうに食事を作る事(この場合は皆のためにてんぷらを作るという行為)自体が気に入らない。
だから「せっかく作ってくれたのに申し訳ないけどてんぷら嫌いでさ・・・」と言うことも出来ず、「不味いものを食わせるな!」と適当な理由をつけてDV(母に対する暴力)を振るったのです。
食事へのモラハラ発言「てんぷらは作るな!」と皿を投げる
てんぷらが気に入らないと子供の前で激高し、母を怒鳴りつけせっかく作ってきたてんぷらを皿ごと投げ捨てる父親。
ガシャンと皿が割れる音が工場内に響きます。
「また始まった。恐い。」そう感じながら、床に散らばった皿の破片と、さっきまで食べていたてんぷらを見つめていました。
一度だけ母へ暴力を振るう父に抵抗した私ですが、父の恐怖を目の当たりにすると何も出来ませんでした。
無抵抗のまま30秒程無言でうつむいている母に、大声で「何か言うことは無いのか!」と言うも、「このまま何か言えばぶん殴られる」と知っていた母は無言を貫き通します。
しかし、無視をされたと勘違いしたのか、座っている母を蹴り、倒れたところで腕を力いっぱいつかんで再び起こし、肩を思いっきり押して押し倒す父。
倒れてうずくまっていると動けない母の脇腹に蹴りを入れてきました。
「うー」と声にならない声で痛くて苦しいことを訴えますが、暴力の手を緩めない父。
それを見た妹は大声で泣き喚き、弟も半べそ状態、私は緊張で体が動きませんでしたが、このままではいけないと
「お父さんやめて。お母さんは何もしてないじゃないか」
そうやって、何度も叫びましたがその声は父に届きませんでした。
父のDVに身の危険を感じ子供を連れ工場を飛び出した母と兄妹
「このままでは命が危ない」
そう感じた顔中アザだらけの母は、子供の手を引いて財布だけ持ち、外へと飛び出し前カゴと後ろカゴに妹と弟を乗せました。
「いくよ。お前も自転車に乗りなさい」と私に一声掛け自転車で飛び出したのです。
「どこへ行くの?」と不安な声で聞くと、
「おじいちゃんの家に逃げるんだよ」と真剣な表情で答える母。
「でも車の方がいいよ」
と自転車ではなく車の方が速く着くことを伝えましたが、
「お父さんが車の鍵を持っているからダメ」
母は車の鍵を持っていなかったので自転車で実家に帰るしかありません。
春日部市の実家まで車だったら15分の距離ですが、この日は自転車で、しかも父が途中で連れ戻しに来ることを母は予想していたのです。
「杉戸から帰ろう」
「どうして」と私が聞くと、
「いつもの道を通っていっても親父は必ず追いかけてくる。だから違う道から帰るんだ」
そう教えてくれました。
怒り狂って車で追いかけてくる父とすれ違った
千葉県から杉戸町と春日部市どちらへ行くにしても絶対に渡らなければいけないのが江戸川の橋。
私達はこの橋の上で父に追いつかれてしまったのですが、車道と歩道が別の橋だったため車が入れず、橋を渡りきった後に土手側に周った私達は父の車に追いつかれずにすみました。
杉戸に入るとそれまでいつ父が追いかけてくるか分からないという恐ろしさが少しだけ消えて、自転車をこぐ体に疲れがドっと出てきました。
「お母さん。少し休憩したいんだけど」
そういいましたが、
「ダメだよ。お母さんだって二人乗せてるんだからもっと疲れてる。でも春日部に着くまでは我慢して」
子供二人を前後に乗せた母親と、小学校6年生の自転車の列の前を車がビュンビュンと追い越すたびに、車で来ればよかったな~と後悔しましたが、母は父に見つからないようにと必死でこいていました。
「破けているよ」DVで服を破られたことに気付かなかった母
「もう少しでおじいちゃんの家だ」
自転車をこぎながらそう考えていると、
「おばさんの家に寄ろう」
そういって実家の手前にある母の姉の家によって休憩することに。
「こんにちは」と玄関越しにおばさんを呼ぶと、いつもどおり笑顔で私達を迎えてくれましたが母の様子をみた瞬間、
「旦那にやられたんだね」
すぐにそう聞いてきました。
「うん」
母はそう頷いた瞬間、
「私は何もしていないのに。ただお昼に皆でてんぷらを食べようと思って持って言っただけなのに、さっぽられてさ・・・」
おばさんは、そうか。そうかと泣きながら説明する母の言葉に耳を傾けながら、
「服が破けてるよ。これも旦那にやられたの?」
と驚いて聞くと
母は、
「え?そうなの?逃げるのに必死だったから全然分からなかった」
肩からウエスト部分まで、破けてボロボロになったパイナップル柄の半そでシャツを見てておばさんは
「そうかい。それは大変だったね。それにしてもどうしてこんなことするんだろうね。あの人は・・・。○○たちも大変だったね。でももう大丈夫だよ。ジュース飲むでしょ」
と疲れた私達に気を使ってジュースを出してくれました。
5月でしたが外は晴れて暑く、喉も渇いていたためみんな一気飲み。
あの時のことは今でも忘れません。
おばさんの家を後にして母の実家を目指した母と私ですが、この後も実家には帰りません。
その理由を知りたい方は続きをご覧ください。

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