この記事は、【DV父が母の腹を蹴り食事に文句をつけるのを面前で見た11歳】の続きです。
服がボロボロに破けていることに気付かないまま自転車を走らせ春日部まで逃げてきた母と兄妹。
助けを求めて実家に帰る前に寄ったおばさんの家を後にし、母の実家へと再び自転車をこぎました。
「もう少しでおじいちゃんの家だ」
そうやって安心していると母はこう言ったのです。
「おじいちゃんがやっている寮に行こう」
「お前何やってんだ?他人の家庭に迷惑かけるな」とおじさんに言われた
「おじいちゃん」と女子寮の管理人室のドアを空ける妹。
時間は15時前後だったと思います。祖父は丸まった背中をこちらに向けテレビを見ながら
「おー。来たのか~」と嬉しそうに振り返って孫を迎えてくれましたが、ボロボロになった母の服を見ると一気に表情が強張りました。
「実はさ・・・」母が事情を話すと、
「それは大変だったな。とにかく暫くゆっくりしていきなさい。」
とサイダーとお菓子を私達に出しながら、
「何があったんだ。またやられたのか。今度はどうしたんだ?」
と事情を聞くと
「いつものことだよ。お昼にたべようっててんぷらを作って工場にもって行っただけで、ぶん殴られてさ・・・」
と母が泣きながら事情を話していると、玄関のドアが開きました。
「お父さんが連れ戻しに来た」
と一瞬ヒヤッとしましたが、顔を出したのは叔父さんでした。
母と甥っ子、姪っ子(私達のこと)の姿を見て、何かあったのだと察した表情たものの、放った言葉は、
「お前。何やってんだ?他人の家庭に迷惑をかけるんじゃねーよ」
モラハラとDVを夫婦喧嘩と勝手に決め付けたおじさん
「おじさんは何も分かってくれない」
11歳の私が導き出した答えはこの一言。
しかし、大人になって当時のことを改めて考えると、それは当然のことでした。
当時はDV防止法が施行される前で、雑誌はもちろんテレビでドメスティックバイオレンスやモラルハラスメントについて取り上げられることはなかったです。
テレビで盛んに放送されるようになったのは、法律化された後。
この法律は、今まで家庭内に潜在してきた女性への暴力について、女性の人権擁護と男女平等の実現を図るため、夫やパートナーからの暴力の防止、及び被害者の保護・支援を目的として作られた法律です。平成13年に国際的な流れと被害者の声を受け、超党派の女性議員による議員立法で成立しました。これまで、2回の法改正を経て、このたび、3回目の改正が行われ、平成26年1月3日に施行されました。
だから、傷ついた母が何度子供たちと一緒に実家に助けを求めても、『単なる夫婦喧嘩』としてしか見てもらなかったのです。
その結果、「たかが夫婦喧嘩ごときで帰ってくるな。お前にだって悪いところはあるんだから我慢しろ」と言う意味で迷惑をかけるなといわれたのではないかと・・・。
故郷と実家がなくなりもう帰る場所が無いと悟った母
「他人に迷惑をかけるな」
ボロボロの母が子供3人を連れて自転車で2時間以上かけて実家に帰ってきたら言われた言葉。
あまりにも酷すぎます。
その言葉を聞いてずっと下を向いたまま黙っている母を見た小学校6年生の私は
「tおじさんがこんなに酷い人だったなんて・・・。兄妹であるはずのお母さんが助けを求めてきたのに、どうしてこんなことが平気で言えるんだ」
と怒りがこみ上げてきましたが、祖父の帰宅時間となったため、実家へと戻ることに・・・。
嫁いだら実家は無い「一度出たら他人の家なんだ」
「自分の生まれた家は嫁いで出たら無いんだってことを学んだよ」
この時の話を聞いたら母はそう答えました。
祖父母の家はtおじさん夫婦と、私のいとこ(男3人兄弟)が同居していたので、おじさんのお嫁さん。つまりおばさんからすれば義理の姉が3人の子供を連れて逃げてきてもいい顔はしないでしょう。
ですが、旦那のDVに耐え切れずに逃げてきたのだから、「辛かっただろう」と優しい言葉で迎えてあげてもいいのではないか。
11歳の私はそう思いましたし、母もそれを望んでいたはずです。
しかし現実は違った。
「おじいちゃんの家にオレ達がいる事をお父さんは知っている。どうせ連れ戻しに来るし、もう一度あの家に帰るしかない・・・」
そう話をしていると、母が孫と一緒に自転車で帰ってきたことを知った祖母が言葉を掛けてくれました。
おばあちゃんの言葉「お前が生まれた家だ。いつでも帰ってこい。待ってっから」に救われた
「ここは○○(母の名前)が生まれた家なんだ。だからいつでも帰ってこい。待ってっから」
旦那のDVから逃れてきた娘と、3人の孫を気遣ってくれた埼玉訛りの祖母の言葉は本当に嬉しかったです。
祖母は既に亡くなりましたが、「もしもし。ばあちゃんだけど。別に用事は無いんだけどさ。暇だから電話したんだ」といって、よく我が家に電話をくれたのを覚えています。
話す内容は「近所の××さんの家に子供が生まれた」、「いとこの○○がマラソンで優勝した」、「お母さんはお父さんに悪い子とされてないか?」、「お母さんはお父さんに悪いことをされていないか?」など、他愛の無いことも多かったですが、いつも母や私達を気遣ってくれていたのを忘れません。
母の実家ではこんな事がありましたが、実家に帰る前にどうして女子寮に寄ったのでしょうか?
それは・・・。
叔父がうるさくてうざいから女子寮の祖父に助けを求めた
DVを受けて実家に帰っても「叔父さんに何を言われるか分からない」という理由から、母は実家ではなく女子寮に向かいました。
祖父は私が5年生の時から、大学生女子寮の管理人をしていました。場所は東武伊勢崎線の武里駅近く。
本当は実家を目指していましたが、そこには母の兄、つまり私の叔父さんが祖父母と一緒に暮らしています。
母の家族構成はこちら

叔父さんは理屈っぽくて気分屋の性格
叔父さん(以降tおじさん)の性格は、理屈っぽく頑固で思っていることを何でも喋る気分屋。
普段はやさしいですが、会いに行ったときに機嫌が悪いと相手にしてくれいこともあり、私は次第に距離をとるように・・・。
それでも私の父は一切子育てをしなかったので、色々と勉強になることを教えてくれてありがたいと思ったこともあります。
ですが、私が高校を卒業して暫く無職だった時などは、「早く働いてお母さんを助けてやれ」、「どんなに辛い仕事でも3年は続けろ」など会うたびに色々言われてうるさくてウザくて辛かったです。
(言われて当然なのは分かっていました)
就職までの詳細はこちらの記事を参考に。

こんな性格ですから、幼いころから一緒に生活してきた母もtおじさんに対し苦手意識があります。
また、実家に帰省するたびに、母は祖父母やtおじさんに「旦那から暴力を受けた。酷い言葉を言われた」など色々話していますが、『親やオレ達兄弟の忠告を無視して勝手に嫁に行ったお前が悪い。自業自得だ』とtおじさんは考えています。
もちろん母は気付いて後悔しています。自分の選択が間違っている事に・・・。
DVや暴力から救うおばあちゃんの言葉
DVなどの暴力に耐えかねた挙句、「他人に迷惑をかけるな」というおじさんの言葉に絶望した母と11歳の私。
しかし、それを救ってくれたのは「お前の家なんだからいつでも帰って来い」というおばあちゃんの言葉。
ずっと頼りになると信じていた母の実家にも見捨てられたと思いましたが、この一言で「いざとなったらいつでも返れる」と心が少しだけ軽くなりました。
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