弁護士の大渕愛子さんが顔の浮腫み(むくみ)を訴え病院にいった結果、甲状腺機能低下症の疑いがあるかも医師から告げられたとYahooニュースに載っていましたね。
甲状腺機能低下症がどんな病気か知りたい方は、こちらをご覧ください。
甲状腺機能低下症は、血液中の甲状腺ホルモンが不足した状態をいいます。甲状腺ホルモンは代謝を調節するホルモンですので、不足すると次のような様々な症状があらわれます。適切な治療を行うと症状は改善します。(伊藤病院より引用)
甲状腺機能低下症を患った母と親父に反撃した小学校5年生の私に記載しましたが、
私の母も28年前に甲状腺機能低下症と診断されたのですが、大渕さん同様顔のむくみを毎日うったえていました。
特に小さな男の子のお子さんがいらっしゃるので、本当に人事ではないと思っています。
顔の「むくみ」が気になっても忙しくて病院に行けない
子供だった私は『むくみ』がどんな症状か分からず、母に聞くとほっぺたを指で押して、
「押したところが元に戻らないでしょ。これがむくみだよ」
と教えてくれたことが記憶に残っています。
この時点で病院に行くべきだったのですが、父が働かなかったため一人で仕事をするしかなく、病院にも行けませんでした。
すると体は様々な異常をきたす様に・・・。
甲状腺機能低下でだるさや疲れが出始める
充分な睡眠をとっても倦怠感に悩まされる母は、当時の体の様子をこのように話しました。
「糸につるされた操り人形のような浮遊感があり体がいうことをきかない」
全力疾走しようと頭で考えても、手足が自由にならない感覚を。
常に体が空中に浮いて一走れない感覚を。
この状態で家事はもちろん、働かない父に代わって一人で仕事をこなそうと必死に頑張っていましたが、
「てめー。いつまでダラダラ仕事してんだ。これじゃー納品に間に合わねーよ!」
と仕事が間に合わないのを父に怒鳴られたのがきっかけとなり、病院にいく事を決意したのです。
寝不足で居眠り運転。その結果ダンプと衝突しそうになる
客先へと荷物を納品するために国道を走らせている時、運転中に急激な眠気に襲われた母。
何とそのまま居眠り運転をしてしまったのです。助手席には妹が乗っています。
そのまま車はフラフラと蛇行し始め、センターラインを越えて対向車の大型ダンプとぶつかりそうに・・・。
「ブッブー!」
というけたたましいクラクションに気付いた母は、とっさにハンドルを左に切り、事故を免れたといいます。
このことを妹に聞くとまったく記憶にないといいますが、
「あの時、ダンプの運転手さんがクラクションを鳴らしてくれなかったらぶつかって死んでいた」
と話してくれましたが、そんな極限の状態になっても父は母への態度を改めませんでした。
甲状腺機能低下症は物忘れが激しい。数日前の記憶も無くなる
甲状腺機能低下症を患ってから物忘れが激しくなった母は、数日前のことを思い出せないほどになります。
お客さんから電話が掛かってきても、話を記憶することすら困難になり脳の病気を疑って脳神経外科を受診。
医師から「脳に異常はないが、肝臓と低血圧の兆候が見られる」と診断されたものの、何度通院しても症状は改善されません。
そのため色々な病院を受診しますが、どの病院行っても「血が薄いです」といわれるだけで原因は不明。
甲状腺機能低下で「寒い」と夏でも長袖を着る母
1990年8月の平均気温は30度。

2018年の夏と比較すると30度を下回る涼しい日もありますが、それでも35度を越える猛暑日を記録しています。
にもかかわらず、私の母は寒いといって真夏の暑い日に長袖・長ズボン姿で仕事をしていました。
これは甲状腺機能低下の典型的な症状の一つです。
寒がり新陳代謝が低下し全身の熱の産生が減り、寒さに弱くなります。
夏休みだったので母が昼食を作ってくれた時も、子供たちは冷やし中華なのに、母は暖かいうどんを食べていたのでビックリしました。
甲状腺機能低下症は治る病気と知るが不安もある
どこの病院を周っても具体的な病名を告げられなかった母は、姉に病気のことを相談。
その結果、自分が患っている病気は【甲状腺機能低下症】であることをはじめて知ることになります。
姉に春日部嬉泉病院を紹介される
症状を話すと運がいいことに、母の姉の旦那さんが人工透析のために通院している病院を紹介してもらえたのです。
この時、
- 病名と治療方法が見つかってよかったという安心感
- 病気の状態でどうやって生活していけばよいかという不安感
という2つの気持ちが入り混じって涙が出てきたと教えてくれました。
姑がひどい。甲状腺の病気だと泣きながら電話で伝えても無関心
診察を終え精神的に不安定になりかけた状態でしたが、早く仕事に戻らなければならなず、父と姑に病院の電話ボックスから工場に電話をかけると「もしもし~」と姑が出ました。
「もしもし?お義母さん?私です。」
と声を発したものの、
「なんだ。○○さんかい。」
と姑はまったく関心を示していないことが、受話器越しから伝わってきたといいます。
それでも母は、病気であることを分かってもらいたい一心で
「実は、甲状腺の病気にかかって、これから毎月病院に通うことになりました。仕事を抜けて迷惑をかけてしまいますが、ご理解ください」
と今後についてを話すと、
「そんなことはいいから早く帰って仕事を手伝っておくれよ。私は年だから仕事は大変なんだよ。」
そういって母の体を気遣う言葉は一切ありません。
「どうしてそんなこと言うんですか?毎日私一人で働いてきたんですよ。あなたの息子は朝から晩までパチンコばかりで、全然働いてくれないじゃないですか?」
「一生懸命働いているのにどうしてそんなことが言えるんですか?」
そう言って母は病院のロビーの前で大声で泣いたそうです。
病気のことを姑も分かってくれない。今まで必死でやってきたことはなんだったのか。
そんな感情が溢れて涙が止まらなかったといいます。
姑の日記に「私には関係ない」と書かれ親戚も知らん振り
姑に甲状腺機能低下症の事を打ち明けて数日後。
母が姑の部屋を掃除している時に日記を見つけました。
見てはいけないと分かっていましたが、ページをめくるとそこには、
『8月○日 ○○さんが泣きながら電話をしてくる』
というタイトルと、その日あった出来事がかいてありましたが、
「○○さんが病院から病気について、泣きながら病気について連絡をしてきたけど、私には一切関係ない」
そう書いてあったのです。
母は驚愕すると共に、姑は一切信用しないようになりました。
周りに理解者がいる大渕愛子さんといなかった母
小学生だった当時は母の病気について、子供なりにできる事を考えていましたが、知識もないため何も出来ませんでした。
特に姑の日記の件は子供の頃に聞いた話しでしたが、こうして文章にすると考えさせられることがあり、怒りが込み上げてきます。
当時の母は本当に極限状態だったと思いますが、子供には心配をかけないようにしていました。
ですが、体調不良からか体をさすって欲しいといわれることもあり、マッサージをしてあげたことを思い出します。
そしてこの頃から、母が健康でいてくれることにありがたみを感じ、母親には長生きしてもらいたいと願うようにもなりました。
大渕さんは私の母とは異なり、優しい旦那さんと二人のお子さんに囲まれて幸せそのもの。
だからこそ、しっかりと検査を受けて元気になってもらいたいです。
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