「今日で仕事辞めることになっちゃった。明日から仕事探すから」母にこう告げられた1993年のある日。
両親(父、母41歳)は無職に・・・。
倒産までの経緯はコチラ

私が中学校2年生、弟は小学校6年、そして妹は4年生の時でした。
これはその時私が感じた事を書いた記事です。
両親が再就職するまで普通の家庭なら貯金で凌げますが、我が家はパチンコで浪費する父親のせいで貯金がほとんど無ありません。
そのため毎日の食材も満足に買えず、当時は魚の干物や目玉焼き、自家製の漬物ばかりが食卓に並んでいた記憶があります。
でも兄妹にとっては嬉しい事もありました。
それは・・・。
父と顔を合わせないのでモラハラやDVと無縁になった
一番良かったのはコレ。
父が再就職したのは運送業。トラック運転手は夜に仕事をするため、日中に顔を合わせる事がなくなったのです。
父親のきらいなそうめんが食卓に並んでも、風呂の用意をしていなくても文句を言われない。
あの時の我が家は平和そのもので、家族がのんびり生活できて本当に幸せだったのを思い出します。
二つ目は・・・。
鍵っ子じゃなくなった事が嬉しかった
家に帰ると母がいることが嬉しかった。
私の母は、働きもせずパチンコばかりする父代わりに、自営業の会社を一人で切り盛りしてきました。
「オレのお父さんパチンコばっかりしててさ、全然貯金しないんだ・・・」
「そのおかげでウチはずっと貧乏暮らしさ・・・」
そのため、朝から晩まで働いていたので「ただいま」と帰宅しても家には誰もいない鍵っ子だったのです。
小学校1年生の時は、遊びに行った友達の家にお母さんがいるのがすごく羨ましかったでが、「ボクの家は仕事をしてるから我慢しなきゃ」と無理やり納得させてきました。
しかし、会社の倒産がきっかけで母が暫く自宅にいる事になったのです。
これには弟と妹も大喜び。
世間の目を気にして、物音一つ立てずに部屋に篭って求人誌を読み漁っていた母は、中学生の自分が見ても気の毒でした。
しかし、家に帰ったらお母さんがいるのが本当に嬉しかったです。
3つ目は・・・。
父がモラハラとDVをしなくなった
これです。
自分の気に入らない食べ物が食卓に並ぶと激怒し母を殴る父親が、何を出されても文句を言わずに食べるようになったのです。
また就職活動で家にいない事が多く、私達や母は仕事をしていた時よりも少しだけのんびり生活ができました。
運送会社への再就職まで大変だった
子供にとって良い事であった会社の倒産ですが、両親は本当に苦労していました。
埼玉県某所の日通に二人で面接に行った時は採用担当の方に、
「本当に大変な仕事ですよ。ご主人は41歳なので年齢的に厳しいですし、奥様は小柄ですから勤まらないと思います。」
とはっきり言われて就職活動の厳しさを思い知らされたといいます。
母はこの時点で運送会社への就職を諦め、近所のプラスチック工場にパートとして働きに出始めました。
父はあれから30件以上の面接を受け、やっと採用されたのがパスコの配送業務。
モラハラ加害者の父親がいなければ幸せになれる
何をするにも父親の顔色を伺って怯えていた私達ですが、昼夜逆転した父の仕事のお陰で誰にも気を使わなくて良い生活を送る事ができようになりました。
結局、私が自営業の倒産で気付いたのは、父親がいなければ幸せな毎日が送れるということだけ。
当時は父も含めて本当に苦労していましたが、このように子供ながらに嬉しい事もあった出来事でした。
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