これの記事は母が32歳、そして私が5歳の頃の話です。
私達兄妹は幼いころから、父親の悪い面を見て育ってきたため、父親の役割などはほとんど分かりません。
運動会のリレーにも出てもらったことは無いし、幼いころにお風呂に入れてもらったことや、保育園に迎えに来てもらったこと、更に抱っこしてもらったこともありません。
理由は物心付く前から、母に対してDVを繰り返す父親しか見てこなかったため、『お父さん = 恐怖の存在』としてしか見れなかったのです。
こういった所謂「父親の役目」をしてくれたのは、他ならぬ母だけでしたが、友達のやさしいお父さんを見るたびに、「これが本当のお父さんなんだな~。うらやましいな~」と小さなときから無意識に感じていました。
普通がうらやましかった子供のころ
私の家の前にずっと仲が良かった男の子(kクン)が住んでいて、おもちゃのダンプカーを転がしたり、当時放送していた遠山の金さんのマネっこや、缶蹴りなどをして道路で良く遊んでいました。
kクンのお父さんは警察官だったため、土日も関係なく仕事をしていましたが、休みが合うと友人と一緒に私達兄妹とよく遊んでくれたのを覚えています。
家の前で鬼ごっこやかくれんぼは勿論、私達を抱っこしてくれることもありました。
しかも何度強請っても嫌がることなく、いつも笑顔で私達にまでやさしく接してくれるとってもいいお父さんだったので、私達も一緒に遊べるのを楽しみにしていました。
更に遊びに行くたび、イチゴやケーキなどのおやつまでご馳走してくれたのですが、ウチは貧乏だったためkクンが遊びに来ても、おやつを出せませんでした。
詳細>>>>>ボロイ平屋の借家で育った私達兄弟
私の父は、普段は無口で一言も喋らず、常に眉間にシワを寄せ、近寄りがたい雰囲気を醸し出し、気に入らないことがあると怒鳴り散らすことしかしなかったため、私達子供から「お父さん遊んで」なんて話もできませんでした。
だから、kクンのお父さんを見るたびに、「こんなお父さんだったら毎日お母さんと喧嘩しないで楽しく暮らせるんだろうな。」と考えていたのを覚えています。
父のDVに耐える母を見て決断したこと
ある日の夜中、私達は隣の祖母の家のドンドンという物音で目が覚めました。
何事かと祖母の家に行って玄関を開けると、父親が母を怒鳴りつけて茶碗を投げつけ、怒鳴りわめきながらDVをしていたのです。
弟と妹は恐怖のあまり泣くだけだったため、何とかしなきゃと思った私は、小学校に上がる前の小さな体で、泣きながら「お父さん!ヤメテ!」と力いっぱい声を出しましたが、父は手を止めません。
その間、母は私達の前で歯を食いしばってひたすら耐えます。その姿は本当に見るに耐えない姿でした。
父は私達子供に手を上げることはありませんが、母に対しての暴力が始まると気が収まるまでやり続けるのです。
以前にも書きましたが、祖母もその場にいますが絶対に止めません。むしろ、私の母が痛めつけられているのを楽しんでいるかのようでした。
警察官のおじさん助けて!お母さんが・・・
このままでは母が大変なことになる。
そう思った私は、玄関を飛び出して道路を挟んですぐにある友達の家のインターホンを鳴らしにいきました。
もう夜中でしたが、誰かに助けを求めようと泣きながら必死で押したのです。
すると玄関の明かりがついて、友達のお母さんが出てきてくれました。
「あらtクン(私のこと)。どうしたのこんな夜中に」
「kクンのお母さん。おじさんいる?おじさん警察官でしょ。ボクのお父さんを捕まえて。お願いします。」
そうやって必死で助けを求めましたが、生憎おじさんは当直でいなかったため、代わりに○○クンのお母さんが、一緒に我が家まで来てくれたのです。
するとkクンのお母さんの姿を見た瞬間、さすがの父親もまずいと思ったのか母に対する手を止めて、「何でもありません」と気まずそうに言い訳し、母も「大丈夫です。本当にすみません」と謝りました。
友達とは離れ離れになってしまったけど
小学校三年生の引越しのときに、kクンとは離れ離れになってしまいましたが、引っ越すときに「オレも一緒に行く」といってくれるほど仲良しの友達でした。
引越し以来連絡は取っていませんが、元気で暮らしていると思います。
お父さんが警察官だったので、もしかすると○○クンも警察官になっているかも。
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