1993年の10月。私が中学校2年生の時に自営業の会社が自己破産をして、同時に母も職を失いました。
社長(経営者)だった父と母が41歳の時です。
1995年の春に高校受験を控えていた私にですら、会社が潰れる = 生活に困る という事は何となく分かりました。
しかし、今後の生活がどれほど苦しくなるのかはイメージが沸かなかったです。
危機感を持っていたのは『母だけ』で、父は会社の状況を分かっていながらパチンコ三昧の毎日。
会社が潰れたことをモラハラ父は人のせいにした
「会社が潰れた原因は親父にある」
そう思った私は、どうして潰れたのか父に具体的に聞きました。
しかし母を顎で指し、
「お前と世の中が不景気だから潰れたんだ。俺は何も悪くない」
子供の目の前でこんな酷い言葉を吐きました。
「え!?こいつは何をいってるんだ?」
一瞬わが耳を疑いましたが、目の前いにいる親父は「母がすべて悪い」と人のせいにしたのです。
「毎日お母さん一人を働かせて、パチンコに行ってたじゃねーかよ」
そう反論すると、
「あいつは仕事しか出来ねーやつなんだよ。そのせいでオレはストレスが溜まってるからパチンコで発散してるんだ。中学生のクセに文句言うな。」
言い訳もせず、自分のやる事は間違っていないと主張してきました。
「会社を倒産させ、家族を路頭に迷わせるという罪を犯したのに、全く反省せずに母のせいにするなんて・・・」
中学生の自分にはどうしてこのような事を平然と言えるのか理解できませんでしたが、大人になって父がモラルハラスメントであると知った時納得しました。
そうです。モラルハラスメントの加害者は不利なことを言われると、
「オレは悪くない。周りが悪い。こうなったのはぜんぶお前たちの仕業だ」
と自己中心性を持ち出し自分が被害者であると偽る特徴があります。

喧嘩をすると「今、俺がしんどいのはお前のせいだ」「うじうじうるさい。ウジ虫か?」「よそ様の主婦は家事育児仕事とよく頑張っている。
社長でありながら、会社を大きくして暮らしを豊かにし、家族を幸せにするという普通の人が当たり前に考えること全く考えず、他人のせいにしたクソ親父。
目標を持って仕事を継続することが出来なかった結果は先述のとおりです・・・。
働かないから会社が潰れたのにパチンコをやめない父
会社が潰れた原因を作ったのは間違いなく父親です。
しかし、先述のとおり、利益の追求や営業開拓などは一切行わず、母に仕事を任せたまま毎日パチンコにのめり込んで、状況を改善しようとはしません。
その間も、周りの同業者はどんどん仕事が無くなり辞めていきます。
以前は金型の話や業界の話をしに父の仕事仲間のおじさん達がやってくることがありましたが、景気が悪くなるとみんな自分の事が精一杯になり、顔を出さなくなりました。
そうこうしている内に、景気が更に悪化し「○○さんの会社が潰れた」と言う話を父が漏らすようになりました。
自分の会社も人事ではないと内心考えていながらも、仕事には一切関心を示さず母を働かせ続けた結果・・・。
会社は二代目で不渡りを出して自己破産
既に書きましたが、祖父の代から続いた射出成型業は、経費を払えなくなり不渡りを出して自己破産。
僅か二代目にして倒産して無くなるという事態に・・・。
100坪2階建ての工場の家賃が30万円。6台の射出成型機はそれぞれ30万円~60万円ほどのリース料を払うため、毎月の支払いは250万円以上。
最盛期は400万円以上の利益を出したこともありましたが、そこで得た資金は貯蓄や会社の運営資金、生活費に回そうとせず、その殆どを父がパチンコで使い果たした結果、
我が家には何一つ残りませんでした。
3人の子供を抱えた母は当時こう考えたといいます。
「完全な無一文でどうやって生活していこう。」
これまで社会人経験が殆ど無い母は、自分に何が出来るかわからず、本当にどうやって暮らしていけばいいのか悩んでいました。
無関心な父に代わって潰れた会社の片付けをした子供と母
会社が潰れた後は機械の運び出し以外に、ゴミの片付けや大家さんへの挨拶などがあり、母と一緒に私も手伝いました。
ユニック車で機械が運び出された後、みんなでほうきを使って工場内のゴミをかき集め、袋詰めしてゴミ収集車まで乗せる作業を半日続けてようやくきれいに。
母親と中学校2年生の私、小学校6年生の弟、そして小学校4年生の妹の4人で100坪の工場内をきれいにするのは容易ではありません。
そこで「最後くらいきちんと終わらせようよ」という母の願いもあり、ダメ元で父に一緒に片付けようと話を持ちかけましたが、
「なんでオレがそんなことやらなきゃならねーんだ?お前一人でやれ!」
会社が倒産して、これからどうやって生きていこうかという事に向き合わず、パチンコにしか興味がない父。
片付け当日は日曜日でしたが、9時45分になると車でパチンコ屋へと出かけていく姿がありました。
会社を潰してから何も学んでいないんです・・・。
41歳の中年で無職になった父と母は3人の子供を抱えてどん底に
41歳で無職となった父が私達を養い、生活していくために選んだ道はトラック運転手。
当時は大企業も経営難で潰れるほど景気が悪く、運転手を雇う余裕すらない運送会社も多かったです。
そんな時代に、射出成型業のスキルしかない41歳の中年親父は、ハローワークや新聞の求人広告に毎日目を通し、履歴書を書いて応募していました。
しかし、当然のごとく中々仕事に就くことはできず、家族を抱えたまま苦労することになります。
続きはこちら。

コメント